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OrCAD,PADS,P-CAD..the Legend of EDA

Protel DXP と Protel 2004 の記憶

大量に投入された新技術により飛躍的な進化を遂げた革新的な製品

販売j時期 製品・バージョン名 備考
1991 – 1993 Advanced Schematic/PCB 1.x Protel 最初のWindows 版製品
1993 – 1995 Advanced Schematic/PCB 2.x Schematic/PCB 1.x の改良版
1995 – 1998 Advanced Schematic/PCB 3.x EDA/Client 統合環境の導入
1998 – 1999 Protel 98 Schematic/PCB 3 の32ビット化
1999 Protel 99 DsignExplorer 統合環境の導入
2000 – 2005 Protel 99 SE Protel 99 の改良版
2003 – 2004 Protel DXP DXP 統合環境の導入
2004 – 2005 Protel 2004 Protel DXP の改良版

 

Protel 99 のリリースが 1999年 3月で、Protel DXP のリリースが2002 年の年末ですので、その間は 4年近くあいています。アルティウムではその間いろいろな事がありました。

この間に起こった主な出来事として、ACCEL Technologies, Inc(P-CAD)の買収 、Metamor Inc(FPGA論理合成技術)の買収 、TASKING グループの買収(エンベッデッドソフトウェア開発環境)、プロテル(Protel International Limited)からアルティウム(Altium Limited )への社名変更 などがあげられます。

このようにこの間には、有力企業の買収がアグレッシブに行なわれています。、そしてこれらは「次世代の Protel ファミリーの開発のために行なわれた」と言えます。またこの企業買収よる最も大きな成果は、FPGA ハードウェアとソフトウェアの開発ツールの技術を手に入れたいれたことでした。

そしてProtel DXP ファミリーはこれらの企業買収で取得した技術の投入に加え、より洗練された統合環境であるDXP プラットフォームを導入することによって開発されました。その結果この新しい Protel DXP はただ単にツールの種類を増やしただけのものではなく、ツール間における相互の緊密な連携が可能な一体化された製品になりました。しかしその一方で、従来の回路図エディタや PCB エディタなどの、個別ツールの販売が取り止められました。

この流れはその後の Protel 2004 世代にも受け継がれ、アグレッシブに開発が続けられました。そして Nexer-Protel 2004 で基板設計とFPGA ハードウェア/ソフトウェアを一体化した統合開発環境が完成します。そしてさらに改良が続けられ、Altium Designer 6 へと進化していきまます。

このように、大きく進化した Protel DXP なのですが、市場への浸透は意外に緩やかなものでした。良くも悪くも根を張るほどに定着した Protel 99 SE との違いがあまりにも大きすぎたというのがその原因なのではないかと思います。これを補うためか、Protel 99 SE は Protel DXP はおろか Protel 2004 がリリースされた後もしばらく販売が継続されました。

プロテルは 1995 年のEDA/Client の導入をかわきりに統合一直線に進んできましたが、それもついにここまで来たか…というのが正直な感想です。 技術を持った企業を買収すれば機能を増やすのは簡単なことかも知れませんが、それを統合し魅力的な商品にまとめ上げる事は至難の業です。それを可能にしたのが新しく導入された DXP プラットフォームです。そしてそのコンセプトと基本技術がすでに 1995 年のEDA/Client で確立されていたという事実を思い起こし、その先見性と開発力に今まさらながら驚いています。

Protel DXP およびそれ以降の製品については今でもWEB サイトから、多くの情報が入手できますので興味のある方はご覧下さい。

プロテル進化論   ・ Protel から Altium Designer 6 へ
Protel DXP サポートドキュメント   ・ Protel 2004 サポートドキュメント

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Protel 99 と Protel 99 SE の記憶

ポータビリティの良い DDB 統合データベースが導入されたロングセラー製品 

販売j時期 製品・バージョン名 備考
1991 – 1993 Advanced Schematic/PCB 1.x Protel 最初のWindows 版製品
1993 – 1995 Advanced Schematic/PCB 2.x Schematic/PCB 1.x の改良版
1995 – 1998 Advanced Schematic/PCB 3.x EDA/Client 統合環境の導入
1998 – 1999 Protel 98 Schematic/PCB 3 の32ビット化
1999 Protel 99 DsignExplorer 統合環境の導入
2000 – 2005 Protel 99 SE Protel 99 の改良版
2003 – 2004 Protel DXP DXP 統合環境の導入
2004 – 2005 Protel 2004 Protel DXP の改良版

 

1999年 4月に無印の Protel 99 がリリースされ、同年の12月に99 SEにアップデートされた後、2005年の3月末までの6年間にわたり販売が続けられました。後継の Protel DXP や Protel 2004 がリリースされた後も販売が続けられた超ロングセラーモデルです。

この製品は以前の Prtoel 98 のマイナーチェンジではなく、統合プラットフォームが大きく変更されされたほか、新たに伝送線路シミュレータが追加された全くの新製品です。

Proel 99 の統合環境は EDA/Client から Design Explorer に変更され、これに合わせて Microsoft Jet エンジン を利用した新しい統合データベースが導入されました。この新しいデザインデータベース(DDB)は全てののデザインデータを一つのデザインデータベース保存できるため、大変ポータビリティが良い反面、ファイルが壊れた場合全てのデータを失うという危険性もありました。またJet エンジンのアクセスコントロール機能を利用したプロジジェクト管理機能が備えられていました。

この新しい統合環境には短所もありました。ことに手軽に使える回路図エディタを求めている人にとって Design Explorer とDDB ファイルはいかにも大げさすぎるように思われました。

この DDB デザインデータベースについては私どもの社内でも賛否両論があり、いくどもその有効性についての議論がかわされました。しかし製品の信頼性が向上するにつれ急速にその評価は高まり、その有効性を疑問視する声はしだいに聞かれなくなりました。

Protel 99 に新たに加わった伝送線路シミュレータは旧 INCASES Engineering 社の SI Workbench を組み込んだもので、現在のAltium Designer 6 と同等のものです。また、アナログ/デジタル混在シミュレータは以前用いられていたDolphin Integration 社の SMASH から Microcode の XSpice 3f5 ベースのものに変更されました。

また回路図エディタ、PCB とも編集機能の改良は旧製品に対する上位互換が維持されており、旧製品のユーザであれば違和感無く使用できました。また部品シンボルに Unique ID 属性が追加され、デザインデータ間相互のリンクが強化されました。これにより回路図とPCBとの間のデータの受け渡しがネットリストファイルではなく、Update – PCB/Schematic のコマンド操作によって行なわれるようになりました。またこの製品から、ロングファイル名と日本語ファイル名がサポートされたことも見逃せません。

そして1999年12月の Protel 99 SE へのアップデートでは、それまで要望が強かった層数の追加が行なわれ、信号層が 16 から 32、内層プレーンが 4 から 16、メカニカル層が 4 から 16 に増やされました。この SE へのアップデートはマイナーチェンジとして扱われ、Protel 99 ユーザに無償提供されました。

また、この製品はライセンスがピア・トゥ・ピアでフローティングするように作られており、全てのユーザにフローティングライセンス仕様の製品が提供されました。また、統合版を購入しても Schematic/PCB 等の個別ツールのライセンスをバラバラに使用できましたので、設計者が作業を分担する場合には大変便利なものでした。

マーケティング面では、より明確に統合ツールへの方向性が打ち出されました。例えば回路図エディタの商品名は、従来の Advancrd Schematic 98 から Protel 99 Schematic に変更され、個別の回路図エディタ は Protel 99 統合ツールのサブセットとして位置付けがさらに明確にされました。

長期間販売されたこの Protel 99 SE には極めて多くユーザが存在しますので、Altium Designer ではProtel 99 SEのデザインデータベース(DDB)と個別ファイルとの互換性に対しては、磐石なサポートが提供されています。

なおアルティウムジャパンでは Protel 99 SE サポートを終了しましたが、サポートドキュメント の提供 は続けられています。

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Protel 98 の記憶

 統合化への方向性を明確にした EDA/Client の完成形

販売j時期 製品・バージョン名 備考
1991 – 1993 Advanced Schematic/PCB 1.x Protel 最初のWindows 版製品
1993 – 1995 Advanced Schematic/PCB 2.x Schematic/PCB 1.x の改良版
1995 – 1998 Advanced Schematic/PCB 3.x EDA/Client 統合環境の導入
1998 – 1999 Protel 98 Schematic/PCB 3 の32ビット化
1999 Protel 99 DsignExplorer 統合環境の導入
2000 – 2005 Protel 99 SE Protel 99 の改良版
2003 – 2004 Protel DXP DXP 統合環境の導入
2004 – 2005 Protel 2004 Protel DXP の改良版

 

名前のとおり 1998年 2月にリリースされた、Protel V3 の改良版です。このバージョンでは、今まで独立していた Advanced Route 3 が EDA/Client のサーバとして組み込まれた事以外には目立った機能の変更は行なわれず、プログラムの32ビット化とバグの修正にに焦点が絞られました。

その結果、Protel V3 よりも安定かつ高速に動作するようになりました。表面的には極めて地味な新バージョンであるにもかかわらずその堅牢さが受け入れられ、10年たった今でもまだかなり使われています。

一方、マーケティング面においてはこのリリースを機に個別ツールから統合ツールへの転換が開始されました。商品名にもこの方針が反映され、統合版にProtel 98 という社名を冠した商品名が与えられました。そしてこれを主力商品とし、個別ツールはProtel 98 のサブセットという位置づけになりました。。

また、個別ツールから統合版 Portel 98 へのアップグレードを安価に設定することにより、統合版 Portel 98への誘導が図られました。その結果 Portel 98 へのアップグレードの注文が殺到し、リリース後2ヶ月間の Portel 98の 売上げはそれまでの半年分に相当する金額に達するほどでした。(日本国内の状況)

このように Protel 98 では、マーケティング面でも統合ツールに誘導する為の施策が施され、Protel 98 での 統合路線への転換は成功を収めました。

一方個別商品に目を向けて見ると、競合商品である OrCAD Capture の改良が進んだことで、回路図エディタの選択枝が広がってきているという状況でした。Windows版回路図エディタはプロテルしかないという時代はすでに過ぎ去っており、回路図エディタの売上げを維持するためには何らかの施策が必要な状況でした。

なお Portel 98 のファイルフォマットは Protel V3 から変更されていません。この Portel 98 で使用されているPCB 3 フォーマットは、現在のAltium Designer 6でも読み書きがサポートされていますので、両者の間で PCB データを双方向でやり取りするこができます。

また Protel 98 についてはまだ WEB 上にコンテンツが残っていますので興味のある方はご覧下さい。
EDA/Client   Protel 98 製品仕様   Protel 98 レポートドキュメント

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3代目 Windows 版プロテルの記憶

EDA/Client 統合環境を導入した第3世代の Protel for Windows

販売j時期 製品・バージョン名 備考
1991 – 1993 Advanced Schematic/PCB 1.x Protel 最初のWindows 版製品
1993 – 1995 Advanced Schematic/PCB 2.x Schematic/PCB 1.x の改良版
1995 – 1998 Advanced Schematic/PCB 3.x EDA/Client 統合環境の導入
1998 – 1999 Protel 98 Schematic/PCB 3 の32ビット化
1999 Protel 99 DsignExplorer 統合環境の導入
2000 – 2005 Protel 99 SE Protel 99 の改良版
2003 – 2004 Protel DXP DXP 統合環境の導入
2004 – 2005 Protel 2004 Protel DXP の改良版

 

3代目 Windows 版の Advanced Schematic 3 と A dvanced PCB 3 は、従来の Ver.2 の延長線上で改良が加えられたものではなく、 EDA/Client という斬新なシステムをベースにして作り変えられた新製品です。

EDA/Client はそれまでバラバラに提供されていた複数のEDAツールを一体化するための統合環境であり、これにより異なる種類の EDA ツールを共通のユーザインタフェイスで使用することを可能にするものです。

例えば従来のプロテル製品では、回路図入力とPCBレイアウトでは、別々のプログラムを起動することが必要でしたが、この新しいシステムでは EDA/Client を起動するだけで回路図入力とPCBの両方の作業が可能になります。この事は複数の種類の仕事をする場合でもツールの使い分けが不要になることを意味します。このシステムはその後も改良が続けられツールを統合する為のプラットフォームとして今に引き継がれています。

このシステムの導入に際しては、開発初期の段階から関係者に対してコンセプトの説明やプロトタイプによるデモが行なわれました。初期の段階では EDA/OSという仮称が与えられており、まさにベンダーの垣根を越えた共通のプウラットフォームを目指していました。私どもはこのコンセプトの先見性に感銘を受け、あらためてプロテルの将来性を確信しました。そして日本のユーザに対して製品リリースの 1 年近く前から EDA/Client のコンセプトの訴求を始めました。

実際に製品がリリースされたのは、Advanced Schematic 3 が1995年 9月で、OrCAD Capture の最初のバージョンのリリースとほぼ同時期でした。 また Advanced PCB 3 は1997年 2月であり、当初の予定より 1年以上も遅れユーザの皆様には多大のご迷惑をおかけしました。

EDA/Client はツールを統合するだけでなく、カスタマイズ機能も提供しています。このカスタマイズ機能により、メニューの日本語化が可能になったほか、オルグシステムズからはマクロ言語を使ったライブラリプレーサが提供されました。

エディタの編集機能の改良については、Schematic と PCB ではアプローチが異なりました。Schematic 3では編集機能の改良を最小限にとどめ EDA/Client によって提供される機能によって新規性を創出していたのに対して、PCB 3 では編集機能そのものに大幅な改良が加えられていました。

PCB 3 はルールドリブンのシステムに変更され配線機能もインテリジェントに改良されました。しかしその反面非常に動作が遅くなりました。当時はハードウェアの進化とソフトウェアの重量化がいたちごっこをしているような状況でしたが、PCB 3 の重量化はハードウェアの進化で補うことはできませんでした。

当時のWindows プラットフォームには、このシステムは少し重すぎたように思います。このため描画レスポンスや安定性においては以前の Ver.2.x に一歩譲る面はありましたが、新しい統合環境が受け入れられユーザの数は右肩上がりに増えてゆきました。

このAdvanced Schematic 3 と A dvanced PCB 3 の投入は営業的にも満足すべきものでしたがそれ以上に、現在でも使い続けれれている先進的な統合環境と、ルールドリブンシステムの導入に成功したことの意味は大きいのではないかと思います。

なおこのPCB 3 フォーマットは、現在のAltium Designer 6でも読み書きがサポートされていますので、両者の間で PCB データを双方向でやり取りするこができます。

また Protel V3 についてはまだ WEB 上にコンテンツが残っていますので興味のある方はご覧下さい。
Windoes PCB-CAD 導入ガイド   Protel V3 サポートドキュメント

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2代目 Windows 版プロテルの記憶

 実用性が大きく向上した 2 代目 Protel for Windows 

販売j時期 製品・バージョン名 備考
1991 – 1993 Advanced Schematic/PCB 1.x Protel 最初のWindows 版製品
1993 – 1995 Advanced Schematic/PCB 2.x Schematic/PCB 1.x の改良版
1995 – 1998 Advanced Schematic/PCB 3.x EDA/Client 統合環境の導入
1998 – 1999 Protel 98 Schematic/PCB 3 の32ビット化
1999 Protel 99 DsignExplorer 統合環境の導入
2000 – 2005 Protel 99 SE Protel 99 の改良版
2003 – 2004 Protel DXP DXP 統合環境の導入
2004 – 2005 Protel 2004 Protel DXP の改良版

 

1994年の2月から3月にかけてリリースされたWindows for Windows 2.0 は、以前の1.x の改良版と位置づけられる製品であり、この製品の出現によりそれまでの努力が実を結び始めました。

この新しい回路図エディタ Advanced Schematic 2.0では、TrueType による日本語、タイトルブロックのカスタマイズ、他のWindows アプリケーションとのクリップボード経由でのコピーアンドペーストが可能になりました。また Advanced PCB 2.0 では、Porigon Pour の改良、パッドスタックのサポート、画面上でのオンライン編集機能、PADS 2000 の読み込みなどが実現しました。またリリース後まもなく、Schematic と PCB の両方ともドングルによるコピープロテクトが廃止され、なんら手を加えること無しに PC 98 環境で使用することが可能になりました。

当時の PC プラットフォームはまだまだひ弱でしたので、安定性や処理速度に不満が残りました。しかし上記のような基本機能の改良により、実用性は大幅に向上しました。

当時のラインナップはつぎのとおり。
・ Advanced Schematic 2.x 120,000 円 – 148000 円
・ Advanced PCB 2.x   398,000 円
・ Professional PCB 2.x   198,000 円

Advanced Schematic は価格改定とキャンペーンによる価格変動がありましたが、120,000 円で販売されていた時期が最も長かったように記憶しています。またProfessional PCB はAdvanced PCB から自動機能を省いた製品であり今思うと大変お買得な製品でした。

当時の競争相手は、Schematic が OrCAD 、PCB が Tango という構図でした。しかし OrCAD には Windoiws 版はなく、Tango は Protel より出遅れていたにもかかわらず大変高価でした。このため、プロテルはシリアスな競争にさらされることはなく、Windows CAD のリーディングブランドとしての地位を得ることができました。

そしてこのポジションを磐石なものにするため、広告宣伝の強化のサポート製品の整備を進めました。トランジスタ技術誌への広告は、従来の1ページから2ページ見開きに増やしました。広告やカタログのレイアウトにおいても、当時のプロテルのカンパニーカラーである黄色を多用し極めて目立つような配色にこころがけました。またサードパーティからもプロテルをサポート商品が次々と現れ、最終的には次のようなものが出揃いProtel for Windows 2.x の販売を後押ししました。

・ FontMan
・ オルグシステムズの TechLib-SCH 回路図シンボルライブラリ
・ CAD サービスの回路図シンボルライブラリ
・ 明光電子の PCB フットプリントライブラリ
・ 部品表太
・ RSI トランスレータ
・ MaxRoute
・ CCT SPECCTRA
・ HyperLynx BoardSim
・ ECAM / CAM350
(これらには1.0世代から存在していたものも含まれています)

Protel for Windows 2.x は 次の Ver.3 がリリースされるまでの間、0.1 刻みの小刻みなリビジョンアップが繰り返されました。特に PCB では頻繁にアップデートが行なわれ、その結果バージョン番号は 2.8 まで達しました。またこのPCB 2.8フォーマットは、現在のAltium Designer 6でも読み書きがサポートされていますので、両者の間で PCB データを双方向でやり取りするこができます。

プロテル製品の販売はこの Protel for Windows 2.x のリリースによって急速に伸び、浜松の大手電子楽器メーカに大量にも採用されるなど、旧テクスパート地元のお客さまにもご愛顧いただきました。

Protel for Windows 2.x は名実ともに 「Windows のプロテル」の地位を得、 Schematic 3(1995年 9月) とPCB.3 ( 1997年 2月)がリリースされるまでの間大量に出荷されました。

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初代 Windows 版プロテルの記憶

世界初の Windows PCB ツール 

販売j時期 製品・バージョン名 備考
1991 – 1993 Advanced Schematic/PCB 1.x Protel 最初のWindows 版製品
1993 – 1995 Advanced Schematic/PCB 2.x Schematic/PCB 1.x の改良版
1995 – 1998 Advanced Schematic/PCB 3.x EDA/Client 統合環境の導入
1998 – 1999 Protel 98 Schematic/PCB 3 の32ビット化
1999 Protel 99 DsignExplorer 統合環境の導入
2000 – 2005 Protel 99 SE Protel 99 の改良版
2003 – 2004 Protel DXP DXP 統合環境の導入
2004 – 2005 Protel 2004 Protel DXP の改良版

 

プロテルはDOS 版 PCB-CAD の開発を打ち切った後、1991年に世界初の Windows PCB ツールとして Advanced PCB 1.0 をリリースします。

当時の私たちのビジネスは PADS-PCB ツールの販売が主力であり、まだプロテルの輸入販売元としての業務を行なっていませんでした。私たちが輸入販売元としてプロテルの Windows ツールの販売を開始したのは、1993年1月の EDA TechnoFair からです。しかし主力においたのははPCB ツールではなく、回路図エディタの Advanced Schematic でした。

プロテルの代理店になることを決めたのはこの前年の1992年の末です。アナハイムの Wescon ショーで展示されていた Advenced Schematic に感銘を受けその場で代理店になることをきめました。当時の私たちは Advenced Schematic   が業界標準になることを確信しており、 プロテルビジネスに投資する事に対して何の懸念もありませんでした。

この Advenced Schematic では、 OrCAD SDT(DOS)のWindows 版というコンセプトが明確に打ち出され、そのコンセプトが適確に実現されていました。またその端正な面構えと Windoes 標準に忠実に準拠したセンスの良いユーザインタフェイスに一目惚れし、もうこれ以外には何も目に入らないほどの状態でした。一方 PCB エディタの Advanced PCB はこの頃すでに Ver. 1.5 にバージョンが上がっていましたが、いまひとつ魅力を感じることができませんでした。

とにもかくにも私たちは、この Protel の取り扱いを機に積極的な販売戦略を策定/実行し、 PCB 設計業者から CAD 販売業者への転換を始めました。いま当時の状況を振り返ってみると、その後の Protel ビジネスの骨格がこのころ確立されたことがわかります。

・ VAR 販売チャンネルの設定
・ 流通販売チャンネルの設定
・ 雑誌広告を毎月掲載
・ 年 4回のニュースレター(Tech Express)の定期送付
・ 年2回のトレードショーへの出展
・ 回路図とPCBの国産部品ライブラリの提供
・ カタログの大量配布

とにかく OrCAD という巨人が目の前に立ちはだかっていたわけですから、OrCAD の Windows 版が出る前にいかに知名度を上げ、販売実績を残すかということが差し迫った課題でした。当時の私たちには「何が何でも プロテルを公衆の面前に露出させる」という、執念めいた想いがあったように思います。

これらの戦略の実行にあたっては、資金不足以外に大きな障害はありませんでしたが、いくつか想定外のこともありました。特に流通チャンネルを通じて全国にカタログを配布する場合、最低でも 10,000枚くらい用意しないといけないことがわかり、流通販売チャンネルの設定後、それまでの 10倍以上の量のカタログが必要になりました。

当時はまだ誰もプロテルの名前を知らないわけですから、まず知名度を上げることが必要でした。そこで直近の微々たる売上げに努力するりもまず、メディアへの物量の投入によりブランドを露出させることを優先しました。このために、雑誌広告やカタログに はプロテルのロゴを大きく目立たせると共に Advenced Schematic が OrCAD互換であることを明示し、OrCAD のWindows 版というコンセプトを強く訴求しました。

そしてこのような営業努力の結果半年後くらいには、いくらかプロテルの存在が認知され始めました。また製品の能力に対してもおおむね良好な評価を得ることができ、少量ながらもコンスタントに売れ始めました。

余談になりますが、このころ国内最大手の PCB-CAD ベンダー様から Advanced Schematic の引き合いがあり、研究用見本として 1本お買い上げいただきました。 開発/設計現場だけでなくCAD 業界にも Protel の存在が認知され始めたことを実感させる出来事でした。

機能面においては Advanced Schmatic 1.0 の特徴である OrCAD 回路図とライブラリの読み込みと書き出し機能、およびWinmdows に準拠した洗練されたユーザインタフェイスは大変好評でした。しかし残念なことに、回路図上に日本語を書き込むことができませんでした。

一方 Advanced PCB 1.5 では、32ビットのデータベースによる 0.001 mil の分解能の実現と、無制限のデータベースサイズのサポートにより、極めて精細度の高い基板や大規模な基板の設計が可能になりました。しかし、パッドスタックがサポートされていないことや、Polygon Pourを同一ネットのパターン上に重ねて配置できない点など、プロフェッショナルな用途には不十分な部分も残っていました。

また、Advanced Schmatic および PCB の双方ともドングルにより不正コピーに対するプロテクトが行なわれていましたので、IBM PC 用ドングルにアクセスできないPC98 環境では使用することができませんでした。このためサードパーティからPC98 用プロテクトキーインターフェイスボードを調達することにより、PC98 環境での動作を実現しました。

当時このAdvanced Schmatic および PCB には Protel for Windows というファミリー名が与えられました。この初代 Protel for Windows は当時のひ弱なPC プラットフォームでは充分な能力を発揮することはできませんでした。しかし Windows のトレンドに対する整合性は完璧でした。このため、 「Windows のプロテル 」というブランディングには最適な商品であり、Windows CAD 市場に絶好のコンデションで船出することができました。

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プロテル DOS製品の記憶

Windows 前夜の製品である、プロテルのDOS版PCB ソフトウェアに関わる記憶をたどってみました。

Windows PCB-CAD の先駆者として知られるプロテルも、1991年に最初の Windows 製品である Advanced PCB 1.0 .がリリースされる前は、DOS製品を開発し販売していました。

1996年に最初の DOS 製品がリリースされた後 1989年にDOS 世代最後の製品である AutoTrax に至るまでにいくつかのバージョンが存在しますが、 AutoTrax 以前には日本に代理店はありませんでした。 プロテルはこの AutoTrax のリリースに合わせて日本に代理店を設定し、日本市場への参入に際してIBM-PC 版だけでななく PC-98版も用意しました。

Windows 版の Advanced PCB がリリースされた後も、Autotrax は DOS Pack の名称で販売が継続されました。DOS Packは、AutoTrax と DOS Schenatc がセットにされたもので、価格は 98,000円と大変安価でした。また、リリース直後のAutotrax にはドングルと呼ばれるセキュリティデバイスによるコピープロテクトがおこなわれていましたが、1993年に販売が開始された DOS Pack以降 このドングルは取り払われました。

また、AutoTrax の前に PCB 3という PCB パッケージがあり、これが Accel 社に OEM 供給され Tango Series I として販売されていました。その後Accel 社は自社開発によるTango Series I I に移行します。この Tango Series I I と Autotrax との間には一見大きな違いは無いように見えました。しかしTango Series I Iには Autotrax には無いマニュアルポリゴンの配置機能がありましたので、アナログ基板設計では、使えるか使えないかの判断の分かれ目になり得るくらいの大きな差があったかも知れません。

余談ですが現在、このAutotrax と その直前のバージョンである Easytrax(おそらく”PCB3″=”Tango Series I” =”Easytrax”)はフリーソフトとしてアルティウム社から無償で提供されており、以下のページからダウンロードできます。 

http://techdocs.altium.com/display/ALEG/Freeware+downloads

また、Autotrax はその後、当時のMicrocode社にライセンスされます。そしてMicrocode社によってWindows に移植され、TraxMaker という商品名で販売されます。このTraxMaker は機能および PCB ファイルとも Autotrax 寸分違わず、まさに Windows 版 Autotrax そのものでした。

当時のDOS製品は、データ幅およびアドレッシングの両方で 16ビットの制限を受けていました。Autotrax はレイアウトデータおよびプログラムとも 16ビットでしたが、EMS がフルサポートされていたので大規模な基板の設計もできました。一方、ほぼ同時期に日本に上陸した PADS は レイアウト後のフットプリントデータを EMS エリヤに置けず、大規模を設計することができませんでした。

その後 PADS はこの制限から逃れるため、 PharLap の 386DOS-Extender を利用した 32 ビット版である PADS 2000に移行します。一方プロテルにも Phenix というコードネームの次世代 DOS プロジェクトがあったようでしたが、結局DOS版はこれで打ち止めにになり、これ以後 Windows にフォーカスされることになりました。そして1991年にリリースされたのが世界で最初の Windows PCB ツールとして有名な Advanced PCB です。 

このWindows 版への移行の後も Autotrax とは双方向の互換性が保たれており、Advanced PCB 2.8まではAutotrax ファイルの読み込みはもちろんのこと、保存もできたように記憶しています。

後にプロテルの国内販売元になったテクスパートは、当時 PADS を使って基板設計を始めたばかりであり、プロテルと運命を共にすることになろうとは夢にも思っていませんでした。

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PSpice の記憶

1995年にテクスパートでは、MicroSim(現在ではOrCAD)PSpice の販売を開始しました。

当時テクスパートでは、日本にまだ紹介されていないツールやあまり知られていないツールを輸入して国内に紹介するのが仕事でした。しかしPSpice は当時、シミュレータのトップブランドとして知名度は抜群でした。しかも日本支社(通称マイクロシム・ジャパン)も存在し、それまでのテクスパートの取扱い商品とは大きく異なるものでした。

なぜこのような毛色の違う商品を扱うようになったかといえば、それは Protel からしミュレータが出てくるのを待てなかったからです。当時まだOrCAD Capture がリリースされておらず、OrCAD SDT(DOS) のリプレースとしてProtel の回路図エディタ Advanced Schematic が大量に販売されていました。そしてこの多くのユーザの方々から切望されていたのがアナログシミュレータであり、出せば必ず売れるという状況でした。

そこで、当てにできない Protel シミュレータの代役として目をつけたのがこの PSpice でした。また、Protel のシミュレータがリリースされた場合でも、PSpice なら一味違う専門ツールとして Protel と併売できるのではないかという予測もありました。

PSpice の販売開始にあたっては、他の取り扱い商品のような手間のかかる仕事はほとんど存在しませんでした。まず、商品を輸入する必要がありません。またマニュアルの作成や大規模な広告も不要です。日本支社(通称マイクロシム・ジャパン)が全てやってくれるからです。そしてなによりも PSpice はすでに日本でのブランディングが完了した商品であり、極論すれば、種蒔きが終わり成長した作物をただ刈り取ればよいという状態でした。

この時テクスパートに不足していたのは、シミュレータ販売に関する実績とノウハウでした。そこでこれを補うための手っ取り早い方法として最初に実行したのは、マイクロシム・ジャパン内にサポートブランチを設置することでした。

代理店契約を終えた後、すぐにマイクロシム・ジャパン内にブランチを設置し、1年の間、社員一人を常駐させました。そしてここで、マイクロシム・ジャパンの専門スタッフの指導を受けながら、セールスと販売後のサポートに必要なテクニカルな業務を行いました。実質的には、マイクロシム・ジャパン内に営業拠点を置いているようなものであり、失敗するはずのない方法でした。そして、思惑どおりこの方法が功を奏して、短期間にPSpice のビジネスを立ち上げることができました。

セールス/サポートドキュメントを作成するための情報も豊富でした。書籍、マイクロシム社の販促/技術ドキュメントなどが豊富にあり、これらのリソースを利用することもできました。これらのを利用してチュートリアルブックを作成しましたがこの時ひとつ大きな過ちを犯しました。それは競合する PSpice 代理店様のドキュメントから、無断で内容を引用をしたことです。この代理店様からのご指摘を受けすぐにこのドキュメントを回収し破棄いたしましたが、競合代理店様をはじめ多くの方がたにご迷惑をおかけしたことを、今あらためてお詫びいたします。

このころ、短期間に多くの方々に PSpice をご購入いただきましたが、Protel とは関係なく、単独で PSpice をお使いになられるユーザの方に方が多かったように記憶しています。いずれにせよしばらくの間、PSpice の売り上げは順調に伸びて行きました。

Protel と PSpice との併売において問題が露見し始めたのは、MicroSim 社が Massteck の技術を導入して、PCB ツールをリリースしたころです。たしか1996年か1997年の初めくらいだと思います。そしてあまり間をおかず、MicroSim 社はPCBを含めた全てのMicroSim 社のツールをひとつにまとめた、DesignLab という統合製品をリリースします。商品の性格はかなり異なりますが、Protel が目指している統合化の方向とは酷似したものでした。

確かこの DesignLab の価格は200万円を超えていたように思います。当時の日本のマーケットには受け入れられるはずのない製品でしたが、統合の Protel を打ち出そうとしている矢先に MicroSim に先を越されて統合のお株を奪われてしまっては困ります。たしかラスベガスのDACショーだったと思いますが、この DesignLab が発表されたときには本当にあわてました。とにかく統合ツール = Protel のイメージがこれによって削がれてしましと困りますので、急きょ帰りの飛行機の中で、Protel 全商品を組み合わせたパック商品 Smart Combo を企画しました。そして次の日、日曜日でしたが休日出勤してチラシを作り、その翌日の月曜日にProtel の統合ツールとして打ち出しました。

そして 1997 年の終わりころ、MicroSim 社は OrCAD 社に買収されました。 これにより重荷になり始めていたMicroSim /PSpice との関係が消滅しました。この時すでに Protel の シミュレータがあり、テクスパートでの PSpice 役目はすでに終わっていましたので、これ以上PSpiceに固執する理由もありませんでした。

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PADS の記憶 – ユーザー編

テクスパートは 1989 年に基板設計受託業務によってビジネスを開始しました。そしてこの時使用したのが 16 ビットの初代 DOS 版の PADS PCB です。

PADS を購入する以前に、OrCAD PCB を購入しましたがとても仕事に使えるレベルのものではなく、また Protel Autotrax も評価しましたがベタの作成機能が弱く選定から外れました。

PADS の評価は、日本で最初にPADS の販売を初めたハイレル社から評価版プログラムを入手して行いました。幸運にもハイレル社とは、以前に在籍していた楽器会社での取引以来付き合いがありました。そして営業担当の方のご好意で非常にいいタイミングで PADS を紹介いただくことができました。

この PADS の評価版プログラムには、基板設計プロセス全般を網羅したチュートリアルが付属していました。これは非常に分りやすく書かれており、それまで PCB CAD を使ったことの無い私たちでも、CAD の機能と設計方法が理解できました。そして、このチュートリアルの中には、自信に満ちあふれたコメントがいくつか含まれていました。

その中に「PADS は他の安価のCAD とは一線を画する高度な製品ですので、決して他の安価なCADとは混同されないようように忠告します」という意味のくだりがありました。たぶん、Tango や Protel も似たような価格で販売されているが、PADS をこれらの安物といっしょにされては困るということを言いたかったのだと思います。トライアルの過程で、PADS の機能の素晴らしさもさることながらこのセールスコピーにも感動し、PADS の導入を即断しました。余談になりますが、このお気に入りのコピーは以後のProtel のセールスに転用し、たびたび使用させていただきました。

PADS PCB は、米国の CAD 販売店から購入しました。(紹介いただいたハイレルさんには大変申し訳ないことでした)当時米国では、PADS PCB の基本モジュールが 995 ドルで売られていました。しかしこれには拡張メモリ(EMS)のサポートと Geber 出力機能が含まれておらず、オプションを追加して仕事に使用できるレベルに拡張すると 2,000ドルくらいになりました。当時国内では、これに簡易オートルータを加えた 3,000 ドルくらいの構成のものが 1,450,000円で売られていましたので、3倍以上の内外価格差がありました。

そして私たちは、この 3,000 ドルで売られていた必要最小限の構成のもの 3 台と、4,500 ドルの SuperRrouer を購入して基板設計業を始めました。

導入後 PADS はすぐに立ち上がり、両面から 6 層程度の基板を中心に受注しました。設計技術が未熟な初期の段階で規模の大きい基板の設計を受注してしまい大変苦労したこともありましたが、PADS の機能上の問題で困ることはあまりありませんでした。また PADS プログラムは非常に手堅く作られており、斬新な機能が無い代わりにバグが少なく、非常に安定に動作しました。このように PADS は期待通りに稼動し、当時の相場だった 1000万円 のCAD を使っている同業者との競争にも負けることはありませんでした。

受注の際には PADS で設計困難な案件は避けるようにしていました。当時の PADS には、主に 16 ビットの制約により次のような能力不足がありましたので、難しい基板の受注を避ける事が必要でした。

(1) 分解能が 1 mil であり、ピン間 3 本の基板の設計ができない。 ただし、SuperRouter は 0.5 mil の分解能がありピン間3本の配線ができた。
(2) 4000ピンを超える大型基板が設計できない。 EMS をサポートしており、配線のセグメント数には制限は無いようでしたが、部品データは EMS によって拡張されたメモリエリアにマップできないようでした。このため QEMM386 でマウスドライバーその他をアッパーメモリブロックに退避させ、コンベンショナルメモリを最大化して使用していました。
(3) 円弧配線、円弧形状のベタエリアが作成できない。 2D ラインと呼ばれる電気属性を持たないオブジェクトでは円弧がサポートされていましたので、これを使ってごまかすしか方法がありませんでした。
(4) 描画速度が遅い。 これは、当時の非力はハードウェアではやむを得ないことでした。

その後 PADS は 32ビット化された PADS2000に移行します。これによりいままでの 16 ビットの PADS での制限が一挙に取り払われました。テクスパートでもこの新バージョンに移行し受注の範囲を広げることが可能になりました。しかしこの頃すでにビジネスを CAD 販売に移行していたため、基板設計業務を積極的に拡大することはありませんでした。

テクスパートでPADSを使用したのはこのPADS2000までです。その後 PADS2000 は Windows 版に移行し、さらにその後 PowerPCB が出現しましたが、テクスパートにとってこれらはすでに、単なる Protel の競合商品でしかありませんでした。

このように、PADS によってテクスパートは起業し、ビジネスの基礎を築くことができました。このような優れたCADが安価に提供されたことに対して大変感謝しています。そしてこれにめぐり合えたことはほんとうに幸運でした。もしこれが無ければ、テクスパートが Protel を販売することもなかったでしょうし、今このような与太噺を綴ることもなかったことでしょう。

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PADS の記憶

PADS とのかかわりはCADユーザとして始まりましたが、社内での使用と並行してPADS 販売に向けての準備を始めました。

まず手始めに、協力関係(とはいっても助けてもらっていただけでしたが…)のあった基板設計専門会社に、PADS を紹介してみました。ちょうどPADS を使い始めて 2-3 ヶ月後くらいのことです。PADS ビジネスのきっかけを探ると共に、本格的な基板設計会社が PADS にどのような評価を下すのかということに、大変興味がありました。

この時、半日程度のデモの結果、私たちが使っているものとほぼ同じ構成のもの買ってもらう事ができました。しかしその後、数日間のトレーニング等を行いましたが結局は業務には使用されませんでした。この時はじめて、既存のものと操作性の異なるツールを受け入れてもらうことの難しさを知りました。

私たちは PADS による基板設計業務が軌道に乗り始めまもなく、社内使用と商品開拓を兼ねて当時米国で販売されていた、PADSのオプションを買い揃えました。ソフトウェアでは PADS Push and Shove インタラクティブルータ、ハードウェアでは、#9 スクロールボードなどを購入しました。

PADS Push and Shove インタラクティブルータは後に機能が拡張され、Massteck の MaxRoute として販売されます。しかし当時のコンピュータでは PADS Push and Shove は応答が遅すぎて使い物になりませんでした。一方 #9 スクロールボードは使えました。当時 1024 x 758 のグラフィックボードでも 512KB のVideo RAM しか搭載していませんでした。しかし #9 スクロールボード は 4MB の RAM を積んでおり、8 倍の表示面積をスクロールして瞬時に見渡すことができました。再描画に時間のかかる PADS にとって、これは大変実用的なオプションでした。

その後、1990 年の中旬くらいから、国内でのPADS 販売への参入を試みました。このころすでに PADS の国内代理店は 4 社(ハイレル、尾崎産業、CRCテクニカル、CAD プロダクト)もあり、すでに過当競争の状態にありました。1989 年のJPCA ショーではPADS 代理店の出展は尾崎産業だけでしたが、1990年のJPCA ショーでは、4 社の全てがブースでPADS を展示し、CAD エリアからあたりを見回すとのどこからでも PADS の看板が目に入るような状態でした。(若干記憶に誤りがあるかも知れません)

当時 PADS はまだ普及が始まったばかりでしたが、このPADS の盛況ぶりをみて、PADS が日本で一番メジャーなCAD ツールだと勘違いした人は多かったと思います。このように、4 社の代理店間の競争によってPADS の露出度は高まり、PADS の知名度は急速に上がりました。

この競争原理に基づいた代理店戦略は大成功を収め、PADS は急激に浸透しました。たぶん一社の総代理店にまかせた場合には、こんなにうまくは行かなかったと思います。しかし一方、分散化によりまとまった営業投資が出来ないという弊害が生じ、雑誌広告もほとんど行われておらず、日本語マニュアルもない状態でした。

そこで私たちは、この PADS の代理店戦略の隙間を埋めることにより PADS のビジネスへの参入を行うことにしました。そして当時、切望されてていたPADS マニュアルの日本語化を行い、CAD Software 社に対して PADS の代理権を取得すべく申し入れました。しかし当時の営業責任者(Michael Marsh – HG.Marsh 社長の 三男)には、これ以上日本にPADS の代理店はいらないと言って断られました。

結局、この PADS 日本語マニュアルは、開発元の CAD Softoware 社に買い取ってもらうことになり、このマニュアルの対価として、PADS ソフトウェの現物を数本受け取りました。そして、このパッケージを売りさばくことにより、私たちの CAD 販売ビジネスが始まりました。私たちは当時、CAD 販売については全くの素人でしたが、社内で実務に使用していましたので商品知識は充分にあり、このビジネスへの参入に対して全く不安はありませんでした。

とにもかくにも、現金を支払うことなしに商品を手に入れることができ、リスクの無い幸運な船出をすることができました。

PADS セールス最後発の私たちは、他の代理店に対して明確な差別化を計る必要がありました。実際に社内で PADS 使っているということがこの差別化に役立ちました。また、当時の CAD ツールはソフトウェア単体ではなく、ハードウェアを含めたシステム(欧米ではターンキーシステムと呼ばれていた)で販売されていました。このため、プラットフォームとして使用するコンピュータ等のハードウェアや、関連ソフトウェアツールによっても差別化が可能でした。

当時すで社内使用のため CAD 関連商品の輸入を行っていましたが、他社との差別化のため、さらにこれらの輸入を推し進めました。PADS PCB の販売に注力した 1990 年から 1992 年くらいにかけて輸入した商品には次のようなものがありました。

(1) ハードウェア
 ・ i486 CPU 搭載の AT 互換機(自社ブランド T486 コンピュータ)  当時国内には品質の良い物が少なかったので、高品質なマザーボードを中心に、レギュレーションのよい電源等を組み合わせたものを米国から輸入した。
・ グラフィックボード ATI 社製の MACH 32 チップ搭載のボートや、VIDEO7 等のボードを輸入した。PADS では、サポートされている高解像度グラフィックボードの種類が限られており、PADS に適合するこれらのボードは国内での入手が難しかった。 ・ Telebit Trail Blazer 高速モデム 当時、Gerber データ転送用に用いられていた定番モデム。国内ではあまりにも高かったので輸入した。
・ Qualstar MT 装置 これは、DAT ではなくオープンリールの MT 装置。当時はまだオープンリールの MT 装置が一部で使用されていた。国内ではあまりにも高価だったので輸入した。

(2) ソフトウェア  
・ Massteck MaxRoute オートルータ PADS SuperRouer の配線品質とオフグリッド配線能力に問題があったため、その代替として輸入を始めた。
・ ECAM Gerber エディタ
PADS には CAM 編集機能がなかったためこの機能の不足を補うため輸入を始めた。

これらの周辺機器とのシステム化により 2-3 年の間なんとか競争力を保ち、採算の取れるレベルで PADS ビジネスを展開することができました。またこれらの周辺機器は単体での需要もあり、i486 AT互換機を中心に同業者の方々にも多数購入していただきました。

1992 年には、PADS 販売の主力は 32 ビット版の PADS2000に移行します。このころ、PADS Software 社は、基板メーカであるキョーデンに買収され、国内のディストリビューションはパッズ・ジャパンに移管されます。これ以後、旧来からの PADS 代理店との競争がほとんどなくなり、代わりにキョーデン/パッズ・ジャパンとの競争に晒されることになりました。約一年くらいの間この困難な環境に耐え忍び PADS の販売に注力しましたが、1993 年以降は Protel に主力を移し、デザインエントリーマーケット向けの CAD ビジネスに移行しました。

とにかくこの間、売れそうなものは何でも輸入して売りました。また当時はノートブックコンピュータが普及しておらず、デスクトップコンピュータを車に積んでデモに出向きました。このため社用車の走行距離が1 年に 50,000km を超えた年もありました。

とにかく苦労はしましたが、基板設計で会社を立ち上げたあと、PADS で CAD ビジネスの基盤を築くことができました。いま振り返ると、当時は大変忙しくまた極めて充実した期間でもありました。

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Massteck の記憶

Massteck と言ってもご存知ない方が多いと思いますのでまず概要を紹介しておきます。

Massteckは、1988年くらいから自動配線ツールを開発/販売していた会社で、初期のツールとして、PADS にOEM 供給されていたPADS Push’ N Shove や MaxRoute があります。自社ブランドの商品として、MaxRoute(自動/半自動押し退けルータ)、MaxPlace(クラスタ・プレースメント)、MaxEDA(PCB-CAD)などがありましたが、実際の収益は、OEM や ソースコードの販売に頼っていたように思います。この OEM/ソースコードの販売先として、当時の PADS、MicroSim、CADIX などがあります。

所在地は米国マサチューセッツ州 ボストン近郊のリトルトンという町です。オフィスは小さな森の中にあり、当時の PADS 本社とは、100 メートルくらいしか離れていませんでした。

経営トップは、Dancouse(創業初期)、Al Ackerman (末期)が務めていましたが、実質的なキーマンは、ソフトウェアアーキテクトの DR. Wadland でした。彼は Mssteck が OrCAD に買収される少し前に、新たに開発した NeuroRoute で、HG. Marsh(PADS の創業者)とNeuro CAD 社を起こしています。そしてOrCAD によるMassteck の買収とほぼ同時期に、このNeuro CAD 社をProtel に売却しています。技術だけでなく、M&Aの時流に乗るセンスもあったようです。

Massteck は、私たちが初めて代理店契約を結んだ CAD ベンダーです。ここから私たちのCADツールの輸入業務が始まりました。そして同時期に Massteck から CSI (CAD Slution Inc.)を紹介され、CAMツール(ECAM)の輸入を始めます。そしてその後、芋づる的に人脈が広がって行き輸入品目を拡大することができました。

私が、最初に MaxRoute を目にしたのは1990年の終わりくらいだったと記憶しています。当時米国でCAD 販売を行っていたCAD Concept (日本語を話す Ken Auga 社長)からマクロキーボードを送ってもらった時、MaxRoute のオートデモが同封してありました。それを見てその能力に驚くと共に、Windows(2.1xのランタイム版が付属)環境で動作することにも先進性を感じてすぐに販売することに決め、社内のPCB 設計にも使用しました。

1991年以降、関東圏を中心に精力的にデモを行いました。このとき、CADIX でも同じデモを見たという話を良く聞きました。このころから、CADIX と Massteck との間でコンタクトが始まっていたようでしたが、後に CADIX にMaxEDA ソースコードが販売されます。そしてこれをベースに機能が拡張された CADIX OHM-XID が販売されました。

そのころ、CADIX からリリースされた回路図エディタも CADCAM Group の ECS と同じもののようでした。当時、UNIX ツールのWindows への移植が始まっていましたが、Windows ツールからUNIX への移植は珍しかったように思います。このような現象に疑問を感じつつも、自分たちの販売している Massteck 製品の技術水準の高さに自信を持つことができました。

1995年にMassteck がOrCAD に買収されるまでの間、数多くのデモをこなしました。自慢げにデモをすると大抵は驚いてもらえましたが、相手を驚かせただけで終わってしまう事が多く、あまり多くの売り上げを得ることはできませんでした。また、このようなデモによる直販に加え、MM-2 用オートルータとして、いずみや IC さんにも販売していただきました。

Massteck の半自動配線ツールの完成度は、1992年に発売されたMaxRoute Plus Ver. 4x が最も高く、デモをしていても大変面白かったように記憶しています。今の高性能なWindows 環境で使えばどんなにすごいことになるか、一度試してみたいと思いますが、残念ながら手元にMaxRoute はありません。

MaxRoute の販売で想定外だったのは、Masstek と PADS との間で PADS 用 MaxRoute の独占販売契約が結ばれたことでした。この契約により、PADS との併売を目的に MaxRoute の輸入を始めたのにもかかわらず PADS 用の MaxRoute の輸入ができなくなり、PADS の国内販売元であるキョウデンから仕入れなくてはならなくなってしまいました。

とにかく、売り上げよりもむしろ海外人脈の開拓と、商売の彩りに大きな貢献があった Massteck でした。

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P-CAD の記憶

P-CAD は、DOS ベースでは世界初の本格派 PCB-CAD システムとして、米国の Personal CAD Systems 社で開発されました。販売が開始されて間もなく PCB プロフェッショナル向けのDOS 版 CAD ツールとして、業界標準としての地位を獲得します。しかしその後、後発メーカとの競争や幾度もの企幾買収の洗礼を受け、現在では製品もその地位も当時の原型を留めないまでに変化してしまっています。

CAD Personal CAD Systems 社は創業後 10年くらいで IBM 社に買収されます。IBM 社はその後、P-CAD 部門を CADAM から分離し、Altium という IBM 傘下の電子系 CAD 専門子会社にビジネスを移管します。このときAltium には PowerPC(CPU)用ツールを開発していたCAD 部門も合流したようです。そしてその数年後、この P-CAD のビジネスと Altium のブランドは、ACCEL Technologies に買収されます。そしてさらにその数年後の2000年1月、ACCEL Technologies は Protel(現在のAltium)に買収されます。

この変遷の中で、P-CAD 製品が最も大きな影響を受けたのは、ACCEL Technologies が P-CAD を取得した時です。こともあろうに ACCEL Technologies は、当時 Tango の名前で販売していた自社の Windows PCB ツールの名前を P-CAD に変更ました。これにより名前は P-CAD で中身は Tango という新しい製品が誕生しました。そしてこの瞬間に、従来のP-CAD PCB ツールと Tango ブランドは CAD 市場から消滅しました。

ACCEL社としては単に、ブランドイメージの高い P-CAD の名前を付けたほうが良く売れるという判断をしたのだと思いますが、その結果が思惑通りなったかどうかは定かではありません。少なくとも日本国内では、P-CAD よりも Tango の方が有名でしたので、おそらく期待通りの結果にはならなかったように思います。

このような事情により、内容が全く異なる2種類のP-CADがありますので、混同しないように整理しておきます。

(1) 旧型の P-CAD
・ACCEL 社に買収される前
・Personal CAD Systems 社のオリジナル製品
・DOS 製品(Master Designer という名称が付けられていた )
・国内では兼松エレクトロニクスが国内代理店として販売

(2) 新型の P-CAD
・ACCEL 社に買収された後
・Tango 製品の名称変更
・Windoes 製品
・国内ではACCEL Japan が販売  (その後、国内販売はプロテル ジャパン → アルティウム ジャパンに移管)

この新旧の 2 つは、双方共まぎれもなく本物のP-CAD です。そして新型の P-CADこそが現存する唯一のP-CAD です。しかしここでは由緒正しい旧型の P-CAD 記憶を辿り、昔話を綴ることにします。

私が初めて P-CAD に出会ったのは、20年くらい前のことです。当時、浜松の楽器メーカで海外ベンチャー企業で開発された電子楽器のOEM 受託生産の仕事をしていました。この時、OEM 委託元の米国企業で開発に使用していたのが P-CAD です。この委託元企業に出張して、P-CAD の画面を見ながら設計変更の打ち合わせを行うこともたびたびありました。

このことで CAD の必要性を認識し、その後まもなく P-CAD の導入検討を始めました。当時日本では、SPI という会社が、P-CAD の販売をしていましたので、P-CAD のデータを持参しデモをしてもらいました。この時、ベタ塗り部分の修正手順を見せてもらいましたが、意外に手間取るような印象を受けました。たしか吉村さんという方に対応していただいたように記憶しています。古い昔のことですが、CAD は初体験の状態でしたのでわりと鮮明に記憶は残っています。

見積りを取ったところ、ハードウェアを含めたシステム一式で、200-300万円くらいだったと記憶しています。コンピュータはアルプス電気製の互換機をすすめられました。当時日本では、トムキャットコンピュータ (ケイプロ)や日本 IBM の漢字フォント内蔵(5550?)のものなどがありましたが、プラットフォームの選択肢は非常に少ない状況でした。また、当時のグラフィックスの標準は EGA であり、VGA が何十万円もしていたように記憶しています。

この導入検討の際に、いろいろとPCB-CADの勉強をさせてもらいましたが、結局は予算申請が通らず購入できませんでした。このようにP-CAD とのかかわりは、ユーザとして導入検討をすることから始まりました。

CAD を販売する側としての P-CAD とのかかわりは、テクスパート設立の1年後くらいからだったと記憶しています。

当時私たちは、自社で基板設計業務に使用していた PADS PCB の販売に加え、P-CAD の周辺ツールの販売を計画していました。この実現に向けて、国内代理店の兼松エレクトロニクス㈱、およびその代理店の㈱ファーストと㈱ライズコーポレーションの3社とコンタクトをはじめたことにより、再び P-CAD とのかかわりが始まりました。

P-CAD 関係者とコンタクトを始めてすぐに、販売戦略上の問題に気付きました。当時のP-CAD の販売戦略は競争相手である PADS に対してハンディを負うものであったように思います。

国内では AT 互換機ではなく NEC の PC98 シリーズ上で動作するバージョンのP-CAD が主力で販売されており、これに起因するいくつかの問題がありました。

まず AT 互換機と比べるとパワーが劣り、P-CAD プログラムのパフォーマンスを十分に引き出すことができない状態でした。特に表示速度の遅さは目を覆いたくなるほどのものでした。 さらに PC98 では、AT 互換機用として開発されたサードパーティーのP-CAD 周辺ツールが、全く使用できないことも大きな問題でした。

そして私たちはこの問題の解決にビジネスチャンスを見出し、P-CAD 代理店に対して商品の提供を開始しました。主なアイテムは、i486 CPU 搭載のAT互換機とELSA のグラフィック・アクセラレータです。AT 互換機は米国で組み立てテクスパートのブランドで販売しました。

この、ELSA のアクセラレータの効果はすざましく、表示が15倍くらい高速になりました。またSpeed Draw というユーティリティにより、詳細な表示条件の設定が可能になりました。これとコンピュータ本体による速度の改善とあわせると、PC98 ベースのものに対して40倍程度高速化されたことになります。あまりにも良くできているので尋ねたところ、ELSA ではボードの開発に P-CAD を使用しており、社内用としてこのアクセラレータを開発したとのことでした。

このことにより、最も遅いCADという評価を受けていたP-CAD が最も早い CAD に生まれ変わりました。うらを返せば、もともと高速なCADツールが日本向けに低速に仕立て直されていたと言えるのかもしれません。

一方米国本国ではどうかというと、これもあまり芳しいようすではありませんでした。現実を見てみると、IBM による買収のあと創業者の Richard Nedbal は退職し、Advanced CAM Technologies 社(ACT)を設立しています。この ACT で最初に開発された E-CAM の中身を覗いてみるとP-CAD との共通点がいくつか見受けられます。グラフィックドライバーはP-CAD と同じものが使用されており、このようなところからもP-CAD の開発スタッフが流出しているようすが伺えます。

このためかどうかは分りませんがIBM による買収以降、開発が停滞ぎみであったのは事実です。中でも致命的なのは、データベースサイズの32ビット化が大幅に遅れたことだと思います。これは、ピン間 3本の配線には必須の条件ですが、この実現がPADSより大幅に遅れました。ちょうどPADS のWindows への移行が完了したころに、ようやくP-CAD が DOS 製品のまま32ビットになったように記憶しています。

このころ、ことあるごとに海外の関係者に P-CAD をどう思うか聞いてみましたが、P-CAD はよい製品だが古い(It’s a good product, But old )という、なんとなく気の無い答えが返ってこることが多かったように記憶しています。業界全体として P-CAD への期待や関心が薄れてきており、すでに 過去の製品であるととらえられているような印象でした。

このように全般的には、大きな期待ができる状況ではありませんでしたが、私たちが提供したAT互換の P-CAD プラットフォームは、主に既存のP-CAD ユーザ様方にご好評をいただくことができました。

その後しばらくして、P-CAD が ACCEL 社に買収され、DOS 版の P-CAD ビジネスは消滅します。短い期間でしたが、このP-CAD のプラットフォーム・ビジネスを通じて、その後の CAD ビジネスに必要な、貴重な知識や人脈を得ることができました。

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Tango の記憶

ACCEL Technologies 社の Tango CAD ツールは、1985年ころに Protel から OEM 供給を受けることにより販売が開始されました。このころ、米国のエンジニアの机の上にこのTango のパッケージが置かれているのを良く見かけました。安い価格設定(たぶん995ドル)により、すぐに売れ始めたのではないかと思います。

米国で販売が開始されてから、数年の間は日本に販売代理店がなく、個人輸入の形で日本に入ってきています。京都の京都の(有)明光電子もこのようなユーザの一社で早くからTango を使い始めており、日本に代理店ができるころにはすでに多くのフットプリントライブラリが蓄積されていました。

この間、ACCEL Technologies 社は日本Tango 製品を販売すろためのパートナーを探していました。当時のテクスパートにも代理店をやらないかというアプローチがありましたが、結局、1991年ごろソーテック(工人舎事業部)が総代理店にきまりました。ソーテックは OrCAD の国内販売チャンネルが現地法人化(インテリジェントシステムズ・ジャパン)されたことにより、OrCADとの代理店契約が終了しその代替として、急きょこのTango に移行しました。この時のソーテックにとって Tango は渡りに船の存在だったのではないかと思います。

この時すでに Tango ツールは Protel の OEM ではなく、SeriesⅡという ACCEL Technologies 自社開発の製品に移行していました。Tango ツールの日本への本格上陸はこのバージョンの回路図エディタとPCBツールから始まりました。

この時のソーテック戦略は、PC 98 への移植とプログラムの日本語化により、OrCAD の日本語版として OrCAD ユーザからの乗換えを狙うというものでした。当時ソーテックは5年以上も続いたOrCAD の代理店契約が終了した直後でしたので、アクティブなOrCAD ユーザのリストをたっぷり保有していました。このためこの戦略は非常に的を得たものでした。私が前に在籍していた楽器会社でも、ソーテックからダイレクトメールを受け取り、即座に購入したようです。しかし、ほとんどのOrCAD SDT ユーザは Tango SCH を購入した後もOrCAD SDT を使い続けたようです。おそらくOrCAD の日本語版とはいうものの、OrCADの代用には機能不足だったのではないかと思います。しかし、OrCAD の機能にこだわらないユーザやPCBのウェイトが高いユーザにとって、Tango は実用的な製品であり最適な選択肢であったと思います。

この PCB の販売促進のためソーテックは、前記の Tango 個人輸入ユーザ(有)明光電子から、PCB ライブラリの供給を受け、Tango オプションライブラリとして販売しました。これより数年後のことになりますが、テクスパートでもこの(有)明光電子から、これを拡張した Protel バージョンのライブラリを購入し、Advanced PCB 用としてTechLib-PCB enhanced の名称で販売しました。

当時の価格は、Tango SCH が150,000円くらいで PCB が598,000円だったと記憶しています。当時、OrCAD PCB は実用レベルには達しているとはいい難い製品でしたので、Tango PCB はソーテックにとって非常に販売しやすい製品だったと思います。

このように、当時の Tango は 国内のPC ベースの CAD 市場では優位なポジションにあり、この状況は、Protel が Windows で攻勢をかけてくるまで変わりませんでした。

一方、このころ開発元 ACCEL Technologies と Protel との関係は最悪の状態だったようです。Tango の新バージョンは自社開発ということになっていましたが、Protel サイドとしては、OEM 供給された製品がリバースエンジニアリングされ、取引が一方的に中止されたということで怒り心頭のようでした。事実 Protel Autotrax と Tango PCB SeriesⅡ の間には、ベタ塗り機能以外に大きな違いがなく、どちらかが真似をしたとしか見えないものでした。

(この時からの怨念が作用したのかどうかはわかりませんが、この約10年後に ACCEL Tecnologies は Protel に買収されます)

そうこうしている間に Windows 時代が到来し、Protel との競争が始まります。

1992年ころ米国のトレードショーに出向いた時、Tango の Windows PCB ツールが展示されており、リリース間近のようすが伺えました。この時デモに用いられていた PCB のサンプルファイルは、Protel のWindows 版のデモに用いられていた円形基板とそっくりのものでした。一瞬、また Protel からの OEM が開始されたのかと思いましたがそうではありませんでした。この時すでに、Protel for Windows がリリースされていましたので、単なる後追いのようにしか見えませんでした。しかし当時 Protel は米国での実績がほとんどありませんでしたので、Protel for Windows の出鼻をくじくにはこれで十分だったのかも知れません。

日本では、1993年(1994年だったかも知れません)にTango Windows PCB ツールがリリースされたように記憶しています。この時すでに Protel for Windows は 第二世代の製品に切り替わるころであり、製品の改良がかなりすすんでいました。また積極的な宣伝広告によって知名度も上がっていました。このため、Tango のWindows PCB はリリース早々 Protel for Windows との競争にさらされることになりました。

Tango Windows PCB ツールはリリースの時点で、Protel に対してつぎのようなハンディを背負っていました。

(1) Windows PCB ツールとしてはProtel の後発である
少なくとも1年以上のタイムラグがあったように記憶しています。
(2) 価格が高い
Protel Advanced PCB の 398,000円に対して、Tango のWindows PCB は 850,000円くらいの価格であったように記憶しています。
(3) 回路図エディタが無い
当初 セットで使用できるWindows 版回路図エディタがなくこれがリリースされるまでに1年程度かかりました。

この中で一番大きな問題はその価格設定でした。ほとんど同じようにしか見えないProtel Advanced PCB との価格差が 2 倍以上もありました。また、この80万円を超える価格設定は、ソーテック自らが OrCAD PCB と Tango PCB で築いた 598,000円の価格帯の市場を放棄し、Protel に譲りわたすという結果を引き起こすものでした。

これに対してソーテックでは、日本語化によって競争力を強化しました。また 併売していた DOS 版のPCB ツールの価格を 598,000円から 398,000円に引き下げました。そしてしばらくして、Windows 版回路図エディタがリリースされましたが、Protel との競争は依然として困難なものであったと思います。

その後、このTango のWindows 版は名前が P-CAD に変更されましたが、これも日本では裏目に出たと思います。日本では P-CAD よりも格段に Tango の方が既存ユーザも多く有名でしたので、この名称変更がすぐに売り上げに結びつくことはなかったように思います。

1999年の後半だったと思いますが、Incases 社から供給を受けた伝送線路シミュレータが、P-CAD のオプションとして1,500,000円くらいの価格で販売されたことがありました。しかしこの直後 Protel は 同じものを当時の Protel 99 に組み込み無償提供を始めました。これによりP-CAD では百万円を超えるのものがProtel では無料という、にわかには信じがたい不可解な状況が発生しました。また、このころにソーテックがキョーデンに買収され、国内の代理店業務がアクセルジャパン(通称)移管されたと記憶しています。

そして後の2000年の1月に、ACCEL Technologies 社は Protel(現在のAltium)に買収されます。その後も数年間 Tango のWindows 版は P-CAD の名称で販売が続けられましたが、現在ではProtel への一本化に向けて作業が進められており、収束に向かいつつあります。

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OrCAD の記憶|機能と価格とその戦略

古くから回路図エディタをお使い方ならご存知だと思いますが、安価な DOS ベースの電子系 CAD 市場で最初に普及したのは OrCAD でした。そしてそのあと Tango、Protel が現れて OrCAD を追い、まさに三国志の状態で顧客の獲得合戦が始まりました。

まあ、当たり障りのない書き出しとしてはこんなところになりますが、実際のところ、回路図エディタに限って云えば、OrCAD のひとり勝ち状態であったことは誰の目にもあきらかな状態でした。また追う側の Tango にしても初期の製品は Protel から OEM 供給を受けたものであったため機能に独自性な無く、Protel の同じものが販売されていました。Tango はその後自社開発に切替えてラインナップを強化しましたが OrCAD の牙城を崩すことはできず、Windows 時代が訪れるまでは OrCAD の寡占状態が続きました。しかし一方、PCB レイアウトの分野に限って言えば、Tango も Protel もそれなりに検討しました。

このように OrCAD  は DOS  ベースの設計ツールとして、業界標準の地位を築きましたが、最初からトップブランドであった訳ではありません、また何もかもが Windows 化してしまった現在、その地位が保たれているとは言い切れなくなってきています。

薄れかけている記憶を辿り、このあたりの経過を紹介してみたいと思います。仕事には役立たない与太噺ですので、お忙しい場合には長居は禁物です。また、内容は独断の偏見に満ち溢れていますので、決して鵜呑みにはなさらないでください。

最初は追う立場のOrCAD

DOS 版回路図エディタの分野は OrCAD が一番乗りだと思っている人は多いと思います。しかしこの分野への参入は OrCAD よりも Data I/O 社の方が早く、OrCAD は Data I/O 社の回路図エディタ DASH の後を追う形でこの市場に参入しました。

Future Net というネットリストフォーマットをご存知の方は多いと思いますが、この Future Net は DASH から出力される標準のネットリスト・フォーマットです。Data I/O 社は早期に DOS 回路図エディタをリリースし、この Future Net フォーマットのネットリストで、PCB 設計プロセスにデータをわたすというスタイルを確立しました。その後 OrCAD SDT が出現しこの DASH をリプレースしましたが、その後も Future Net フォーマットは長く使われ続けられました。

もう30年くらい前になりますが、OrCAD が DASH の追撃をもくろんだ広告がトランジスタ技術誌に掲載されたことを覚えています。この広告には、DASH と OrCAD SDT の機能と価格を比べた比較表が示されていました。明らかに機能の豊富さでも OrCAD が上回っており、特に出力できるネットリストフォーマットや、標準ライブラリの数ではDASH を圧倒しいることを誇示するものでした。そして価格は数分のIでしたので、商品の競争力には10倍くらいの開きがあるように見えました。少なくともこれからは OrCAD のj時代であることを印象付けるには十分なものでした。

売れて当たり前の OrCAD の機能

OrCAD SDT はその価格の安さもさることながら、売れて当たり前の優れた機能を備えていました。一口に言って実用性の高さではどこも太刀打ちできない状態でした。

OrCAD SDT は階層回路図のサポート、20種類以上のフォーマットをサポートするネットリスト出力、豊富な標準シンボルライブラリ、使いやすいメニューコマンドなどの多くの特長を備えていました。そして当時の非力なコンピュータでも、サクサク快適に動きました。なにしろアセンブラで開発されていたそうですから当たり前といえば、当たり前でしょう。そして動作が速い上に、メニューコマンドも気が利いていました。直前に使ったコマンドがメニューの最上部に現れ、繰り返し作業の多い回路図の作成には大変便利でした。

階層回路図のサポートの重要性もさることながら、多種のネットリストのサポートは回路図エディタの汎用性を高める上で重要な意味を持ちます。なにしろ清書するだけでなく、ネットリストを次の工程に渡すことが回路図エディタの一番重要な役目ですから、相手のフォーマットに合わせることができればその汎用性は大幅に高まります。設計工程の最初に使用する回路図エディタではこのような汎用性が非常に重要であり、この汎用性の高さが OrCAD SDT が広く支持された大きな理由のひとつであるといえます。

売れて当たり前の OrCAD のマーケティング

まず、米国で 495 ドル、国内で 148,000円とう OrCAD SDT の価格の安さは衝撃的でした。以後この価格は後発メーカの価格設定に大きな影響を与え、あまりの安さに迷惑したところも多いのではないかと思います。そしてこのコスト/パフォーマンスの高さに加え、的確なマーケティングによって市場へのアプローチが行われました。

国内では、早期に NEC PC-98 プラットフォームへの移植が行われたことと、巧みな広告宣伝が OrCADの普及を加速しました。PCB エディタはともかく、回路図エディタは手持ちのPCで使えないと不便ですので、PC-98 への移植は必須条件でした。しかし、日本語化は行われませんでした。おそらく日本語化のメリットとデメリットおよび他社商品との競争力などを考え合わせると日本語化は不要な状況であったと思います。

そして驚くべきは、OrCAD の広告媒体への露出度の高さでした。トランジスタ技術誌へはカラーの見開き 2ページの広告が行われ、毎月表紙をめくったらすぐに目に飛び込んできました。また、パソコンショップの CAD 売り場やネットワーク機器売り場には、必ず OrCAD のカタログが置いていありました。当時私は浜松に住んでおりましたが、メルバという近所のパソコンショップに立ち寄ったところ、なんとこんなローカルな店にも OrCAD のカタログが置いてありました。

とにかく雑誌や専門店での大量の広告により OrCAD の露出度を上げ、ことあるごとにOrCAD をエンジニアの目に触れさせるという手法が徹底されていたように思います。これにより OrCAD がメジャーな製品であると印象付けることに成功したと言えます。一方、トレードショーへの出展は、一時期を除いては行われませんでした。おそらくこれは Face-to-Face による販売を重視しない OrCAD の販売戦略を反映したものだったと思います。

このように、売れて当たり前の機能を持つ OrCAD SDT が、売れて当たり前のマーケティングによって売れまくりました。

このように OrCAD SDT は非常に実用的なツールでしたが、多少変なところもありました。  最初、アレッと思ったのが部品を移動させるコマンドが見つからなかったことです。しかし OrCAD SDT の Block 操作のメニューには移動のコマンドがあり、一個の部品を動かす場合にも Block(グループ)化して動かすことができました。多分このコマンドを使って動かすのが正しい使い方だと思いますが、定かではありません。また、シンボルライブラリのグラフィカルエディタが大変使いにく、大抵の人はテキストエディタをつかって部品シンボルを作っていたように思います。

そしてソフトウェアのコピープロテクトも不十分なものでした。米国で売られていたこのは全くプロテクトが行われておらず、国内では OrCAD SDTⅢ以降ドングルでプロテクトされましたが、これを解除した違法なコピーも出回っていました。不謹慎な考え方ではありますが、このプロテクトのあまさが OrCAD の普及をいくらか後押ししたかも知れません。

信用調査会社によると、DOS 末期のころの日本国内での OrCAD 売り上げは、約4 億円でした。おそらくこの金額に大きな誤りは無いと思いますが、いくら人気物の OrCAD でも148,000円の回路図エディタだけではこんなには売れるわけはあちません。おそらく日本の市場規模では、回路図エディタは一ヶ月あたり 100-150本くらいしか売れないはずですので、のこりは 598,000 円で販売されていた OrCAD PCB の売り上げなのではないかと思います。おそらく OrCAD SDT と PCB が 4:1 もしくは 3:1 くらいの比率で売れて、 PCB の売り上げで半分位はかせいでいたのではないかと思います。

そこで、この OrCAD PCB がどんなに高性能なものだったかという話になりますが、はっきりいってこれはとても仕事に使用できるレベルものではありませんでした。

浜松で会社を創業したころの話ですが、当時使用していた OrCAD SDT のイメージに惑わされ、ろくに評価もせず米国版 1495 ドルの OrCAD PCB を購入しました。そしてしばらくのあいだ悪戦苦闘しましたが、結局のところ使い物にならず手放しました。

当時から、ツールを見る目には自信を持っていましたのでこれはかなりショックな出来事でした。尤もこれは、私の能力不足による誤った評価かも知れません。とにかく、OrCAD のブランドイメージに騙されてしまったというのがその時の正直な印象でした。

私はその後この反省から、ツールの評価に多くの時間を割くようになり、今では専門家を自認するようになってしまいました。

たぶん私と同じように、ブランドイメージに惑わされて OrCAD PCB を購入した人は多いのではないでしょうか?…というより、むしろこれが OrCAD PCB の普通の売れ方だったように思います。とにかく、ブランドイメージで商品が売れるというのは素晴らしいことです。しかし、598,000円という価格は非常にいい値付けだったと思います。この価格は100万円の約半分、回路図エディタとハードウェアを加えても 100万円近辺で収まりますので、手軽にPCB設計をしたい人にはとっても買いやすい価格設定でした。

OrCAD 社もこの PCB ツールの品質に問題があることを認めていたようであり、他社からOEM 供給を受けるべく、目ぼしいメーカに打診していたような形跡があります。当時 Protel では OrCAD からのこの打診を断ったようです。結局この OEM 作戦は成功せず、後の Massteck 社の買収まで、高性能なPCB ツールは現れませんでした。Massteck 買収時にはすでに Windows 時代に突入しており、それまで販売されていた OrCAD のPCB ツールは即座に Masstek の 製品(MaxEDA)に置き換えられ OrCAD Layout として販売されました。

回路図エディタのWindows 化は、社内開発によって行われたようですが、かなりリリースが遅れました。最初の OrCAD Capture R6 のリリースは、ちょうど Protel の Schematic 3(EDA/Client)とほぼ同時期で、Protelより 3年 くらい遅れたように記憶しています。開発に時間がかかった理由は、OrCAD SDT のコードがアセンブラで書かかれていたので Windows に移植することができなかったという説が有力です。いずれにせよこの遅れは Protel にとってシェアの獲得には大変幸運でした。

このころから Protel は統合化に路線を変え、一直線に突き進みはじめました、このことは OrCAD が Protel に奪われた回路図エディタのシェアを奪還するのには好都合であったに違いありません。

Windows 一辺倒の時代になってからはツールの統合指向がさらに強まり、OrCAD はこの分野で先行した Protel との競争にさらされました。どちらがその勝者であるかは申し上げることはできません。しかし少なくとも現在は、OrCAD 一人勝ちの状態でないことは確かなようです。

(OrCAD、OrCAD SDT、OrCAD CaptureはCadence Design Systems, Inc.の登録商標です)

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アンビルコンサルティングのルーツ

私たちが CAD の販売を始めてから、もうかれこれ 四半世紀になります。今では、アルティウム専門店を営んでおりますが、ここに至るまでには幾多の変遷がありました。

プロテルの販売を開始してから数えても、もう 20年以上経過しています。この間いろいろなことにチャレンジしてきましたが、今ふり返るとプロテルを開始してからよりも、それ以前の数年間の方が多彩で、変化に富んでいたように思います。

まず写真をご覧下さい。

 cad_all

これは1990 年代はじめの頃の写真です。そしてここに写っているのが、私たちがプロテルを始める前の主力商品です。これを見て、ピンと来る人はかなりのベテランです。おそらく大方の人にとっては、見たことも無いものばかりだと思います。

ここには、CAD システムを構成するハードウェアとソフトウェアが並んでいます。

前列には5.25 インチのフロッピーディスクが見えます。このころの外部記憶媒体としては、まだ 5.25 インチのフロッピーディスクが主流でした。フロッピーディスクはこの後、DOS から Windows への移行に合わせて、一気に 5.25 インチから 3.5 インチに切り替わったように記憶しています。後にプロテルの輸入を始めたころには、すでにメディアは 3.5 インチに切り替わっており、Advanced Scematic や PCB では、最初または初期の段階から 3.5 インチのメディアが使われたように記憶しています。

また、各製品のフロッピーディスクの前には 4 角いコネクタのようなものが置かれています。これはドングルと呼ばれるプロテクトデバイスであり、これをパラレルポートに差し込まないと、プログラムが起動しませんでした。

ここに写っている商品は、後列左から、

(1) Qualstar の MT 装置。 http://www.qualstar.com/
これは、Gerber データを MT でやり取りするときに必要でした。1250 BPI と 6500 BPI の 2種類がありました。

(2) テクスパート製 T486 パーソナルコンピュータ。
当時英語版 DOS ソフトウェアのプラットフォームとして安心して使用できる PC が入手しにくい状況でした。このため使用パーツを厳選して組み立てたオリジナル PC をCAD 用として提供していました。この PC ケースには当時はまだ無名であった Antec 社の製品を選びました。

(3) モニター。 
写真に写っているのは三洋電機製のものですが、機種の選定はお客さまにお任せしておりました。

続いて前列左から、

(1) Qualster MT 装置のドライバー/ユーティリティ(MT 装置の添付物) 
(2) PADS PCB (16 ビット ソフトウェア。メーカは PADS → Mentor )
(3) MaxRoute オートルータ (メーカは Masstek → OrCAD → CADENCE )
(4) PC Gerber / ECAM (メーカは CSI → ACT → PADS → Mentor )

PADS の記憶   PADS の記憶 – ユーザー編 Massteck の記憶

これらのソフトウェアは今でこそメジャーな存在になっていますが、当時はまだ無名であり、まだこれらのソフトウェアを輸入販売しているところは他にありませんでした。ただし PADS は例外であり、すでの 5 社の代理店があり混戦状態でした。

私たちは、これらの全ての CAD ソフトウェアに対して、英文マニュアルの全文が翻訳された日本語マニュアルを添付しました。当時の私たちは、日本語マニュアルの無い製品を販売するなどということは許されないことだと思い込んでいましたので、労をいとわずマニュアルの翻訳に注力しました。

しかし当時の外国製 CAD ソフトウェアでは日本語マニュアルが皆無に近い状態でしたので、翻訳の依頼や、マニュアルだけを購入したいという引き合いが数多くありました。これを受け、PADS Software 社からの依頼で、その後の PADS2000 マニュアルの翻訳も行いました。 またECAM の日本語マニュアルについては当時の大手 CADメーカ様にもご利用いただきました。

最前列に写っているのは、Omnikey Ultra と Logitech マウスです。当時のキーボードやマウスは、いかにも「コストダウンしました!」と言わんばかりのものが多く、このようなチープなものを避けると選択肢はそれほど多くありませんでした。Omnikey Ultra はAlps 製メカニカルキースイッチを使っていたのでキータッチが良く、また DIP スイッチでキー配列が変更できるなど多機能でした。また机の上で安定させるために金属のおもりが入れられているなど、他に類を見ない贅沢な仕様の製品でした。

ざっと振り返ってみましたが、この頃の PC-CAD 業界は、今よりももっと活気があったように思います。この後 Windows の時代が到来し、PC-CAD が本格的に普及しますが、CAD ベンダーの数やツールのバリエーションはむしろ、MS-DOS 全盛のこの頃の方が豊富でした。

そして、私たちにとって、このような活気あふれた時期にCAD ビジネスに参入できたことは、大変幸運なことでした。

 OrCAD,PADS,P-CAD..the Legend of EDA  に回顧録がありますので興味のあるかたはどうぞ。

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